中国人女子として海外で奮闘してる日々
皆さん、こんばんは!
今日はですね、
20歳になり立てた頃来日して、
留学生活を経て社会人として今東京で
頑張っているアラサー中国人女子の話をしていきたいと思います。
そうです!Shaneのことです。
「待って待って、閉じないで!最後まで読んで!笑。」
まず、そもそもなんで今日このお題にしたかと
言いますと、ラッキーなことに、今日はですね、Shaneがブルガリアウローラアワードに招待されまして、
今の世の中で活躍している日本人女性を代表するから方々のスピーチを聞いてきました。
その中で一番印象深かったのは、
六本木森美術館の南条館長が、塩田千春先生の紹介をしていた時のお言葉です、
「女性一人で海外で頑張ってることってどれだけ大変なのでしょうか。わたしにはできないかもしれないです」と。
正直、Shaneもよく言われたりしまう。
女性一人で海外で頑張ってるのって素晴らしいねー!大変なのでは?と。
正直、大変なのあんまり感じたことないですね。どちらかと言いますと、楽しんでいる感じです。
色んな方のお話を聞くことができ、様々な価値観に出会えたりすることによって、
人に対しても寛容でいられるようになったし、
様々な立場で物事を考えられるようになった。
何より、自分の感性も磨かれたり、自分は何者なのかについても、
少しずつ明確になってきています。
少し来日した当初のエポソードを話したく存じます。
大学4年生の時に来日して、初めてのバイトはケンタッキーでした。笑。
今で考えると、なんでそこにしたのかってとても不思議に思いました。
中国で勉強しかしてこなかったので、もちろんバイト経験もなかったです。
最初、メニューを覚えることに必死でした。笑
いくら日本語勉強したからと言って、まだまだ分からない言葉がたくさんあります。
接客するわけですから、もちろん話さなければいけないです。
緊張して教えてもらった接客用語だったりうまく話せない時もよくありました。
チキンの部位の名前をそこにいた高校生のアルバイトに教えてもらった記憶がいまだにある。笑。
そこでお局さん的なパートタイムの方がいて、
「学習能力大丈夫か?日本語わかる?」と言われたこともありました。笑。
振り返ってみたら、あっこれって差別なのでは?と思いました。
(当時はただただ、もっと上手になるように頑張ろうとしか考えていなかったけど。笑)
今の自分はあの頃の自分に何を言うのだろう。
「あなたならきっと大丈夫!頑張れ!もっと強くなるから」
というのではないでしょうか。
あの頃の自分にも言ったみたいに。
今考えると、ケンタッキーの環境は自分には向いてなかったなとつくづく。
育った環境、学歴、趣味嗜好などなど、
そこまで違う人たちとはうまく付き合えると思わない方がいいですね。
どうせ時間を使うなら、もっと「こういう人になりたい」と思えるような人がいるところにいた方が
効率良いのではないでしょうか。
価値観がそもそも違うから、わかりあえないですし、
そもそも分かり合えると期待しない方がよろしいのでは?
別に自分が高尚だなんだと思わないけれど。
環境は変えられないなら、自分で作り出せばいい。
作れないなら、もう離れた方がいい。
とShaneが考えております。
なので、ケンタッキーはすぐにやめた。
大の負けず嫌いだから、何より自分には負けたくなくて、
昔も。今も。これからも。
ただ、あの頃みたいに、ただただ上手になりたいから頑張るという真っ新な気持ちに戻りたいなともたまに思ったりもします。
やりたいこと、叶えたいこと、これからも全力で続けて参ります。
ありのままの自分で。
Be a dreamer.
最後に、昨日のブルガリアウローラアワードの会場様子をお届けします!